平穏であること?

今日も快晴、歩くに程よい気候である。平穏である。
”平穏”、この単語は日常の中で良く使われ、言葉の指す対象も数知れない。
例を挙げると、「平穏な日常」「平穏な社会」「平穏な日々」・・・・・とある。
”平穏”の持っている意味は本当のところわからない。
天気でも、社会でもなんであっても、抗うところがないと感じ、意識されたとき
浮かぶ言葉かもしれない。”意識”の生じ方は、人それぞれである。

何かの切っ掛けがあって意識が生じる。過度な欲求もなく、執着もなく、恐れもない
平静な心の状態である場合と逆の状態では、平穏という意識の生じ方は違う。
意識の生じる”切っ掛け”を考えるに、五感への働きかけが切っ掛けとなるし、
もう一つ、
他者(メディア、ネット、本、他者の話)が伝えるものがあり、
これが一番多い。

五感へ働かける切っ掛けの背景に実態がある。しかし、他者が伝えるもは、当人にとっては実態がないわけで、仮想のものである。そして、この種の切っ掛けは過剰であり、今後益々増えて行くであろう。AI(人工知能)が普及すると実態を伴わな仮想に
取り囲まれる。いわゆる識者と言われる人が、メディア、ネットリテラシーが大事と言うが、それは小手先のことである。根本は”平静な心を保つ”術にあると思っている。

 

1 thought on “平穏であること?

  1. 平静な心になる。なかなか難しこと。
    確実な方法は? 初期仏教で説かれる瞑想をすることかも

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