6月は花も草木も美しい

時々散策するちごの沢沿いで新芽の美しいカラムシの群生があった。
カラムシの繊維は麻と同じく織物や編み物として利用されてきた。
越後上布はカラムシの繊維を織り込んだものである。
いまでは会津地方の朝日村でのみ栽培される。麻以上の貴重な国産品である。
カラムシは毒がなく食べても良いとのこと、新芽を摘んで食べてみることに。
天ぷらは香ばしくパリッとした食感でなかなか良い。湯がいても食べてみたが
ザラザラした食感で味もなく好みではない。皮を剥いた茎の湯がいたものが良いとの
話もあるが試していない。
この時期の花は種類も多く更に色も濃く感じる。木々の緑、濃い色の花が美しい。

物語の断片を連想しながら

道路脇のサツキが満開である。秩父の羊山公園の芝桜のイメージが浮かび武甲山を
登ってる姿が浮かんで来た、歩を進めるうちに不思議な藁を巻いた大木と地蔵像に
出くわした。その情景から庚申塚に埋めた酒を60年後に開けて振る舞うことが
思い出された。あの庚申塚の酒はどうなったのだろうか。
少し歩くと野生の桑の木があり、実が沢山ついている。この辺りも養蚕がされていたようである。主要な産業だった国産絹はほぼ無くなってしまった。
大人の遊具が公園に設置されていた。この公園では老人グループがラジオ体操をしている姿に出くわしたことがある。新しい遊具が置かれ益々老人グループが集まっているのかもしれない。子供の遊具があっても子供が少なくなり、大人の遊具が登場した。
変化が進んでいるのである。

5月に夏が来たのか

5月20日、昼下がり、車検の待ち時間を利用して鶴ヶ島市役所の辺りを散策した。
気温は30度を超えていて、日差しが強くて目に入る光景は気怠く眩しい。
初夏の花々が満開で美しい。歩くには暑いがそれほど負担ではない。
ただただ淡々と歩みを進めて1時間ほど辺りを散策した。心の静けさを感じるひと時である。

5月3日大原台

昨日の大雨で畑の土が水を含んで立ち入れない。乾くのを待つ時間があって
団地を散歩した。この団地は東京や神奈川、埼玉からの高齢移住者が多い。
健康を意識してか、多くの散歩する人を見かける。
裏の公園から子供達の声が聞こえて、今日は休日と実感する。
数家族が遊んでいるようだ。途中、庭の手入れをしている人をよく見かける。
春の草が繁り奮闘中と言ったところか。

 

午後の薄曇りを散歩

午前中は、陽の気配もない曇りの天気だったが、午後になると薄曇りに変わったので
散歩に出た。水田は田おこしが済んでいるが水を張っていない。田植えの準備は5月になってからだろう。所々、蓮華やタンポポが咲いている。田園の暮らしの一幕である。
ゆっくりとした時間の流れを感じる。
この情景からは想像できないスピードで人工知能の開発競争が進んでおり、大手企業の
2割以上がAI試用の段階に入っているという。音声や画像の生成も進み、AIなのか人なのか見分けが難しい。電話のアンケートも無人で自動化されたり、顧客の問い合せ
応答もAI化されたものがあるらしい。デジタル格差が問題にされてきたが、AI格差は
もう少し深刻な影響を生む恐れがある。そんなことを思いながら散策をしていた。

 

山桜も艶やか

桜の代表がソメイヨシノと言われている。そのソメイヨシノが関東で満開で
来週から葉桜へ徐々に変わって行く。今日は房総で山桜を見ることができた。
山桜の薄い色合いも中々であり、艶やかで風情もある。
雨の日が続いたが、一転して快晴となり山桜が映えている。
桜はソメイヨシノだけでない。沢山の種類があり其々が魅せるものだ。
これが実世界である。

冷雨で散策できない

4月なのに冬に戻ったような天気が続いて散策もできていません。
ソメイヨシノ桜が満開だというのに残念なことです。
春の陽気を浴びながら、桜を見るのが良い、心が休まる。
写真は3月23日。近くの北浅羽の彼岸桜が満開で、沢山の人が楽しんでいました。

桜開花の前触れ

暖かい陽気になりました。
川津桜が終わると本命のソメイヨシノ桜が開花し、一面の桜景色になります。
桜の前触れとして満開の木蓮、椿が咲いていました。
道端には少し早咲きの花大根があり、あまり見かけない赤いボケの花も咲いて
いました。花の季節の開幕です。冬から春へ季節が移っていると感じます。