生成AI活用で停滞から脱却② UX/UI

AIの活用を語る前に、UX/UIについて共通の理解をしておきたい。
UXは利用者の経験をより良くすることへ焦点を置いて、現行のやり方を
変えること。UIは新しいやり方において、利用者(ユーザー)が接する方法の
親和性を向上させること。

最近ファミレスや回転寿司など多くの飲食店でiPadが導入され、注文をする店が
増えています。
これなどはUX/UIを理解するのに良い具体事例です。
この事例でも、旧来の作法(パターン)から新しい作法へ変わったものです。
旧来の作法から移行するには、関係者の理解/共有が鍵となり、理解/共有なしでは
新しいやり方へ移行することができません。 移行できても中途半端なものになる。

UX刷新には、
1)新しいやり方(作法)を生み出すこと
2)関係者が新しいやり方を理解/共感し共有する方法が実施されること
3)改善を継続して、新しやり方を定番として定着させること
が必要となります。

私の経験を振り返ると、新しい方法を検討する段階から、関係者が何らかの関与を
することが大事です。実務者だけでなく管理者の関与が必要です。
よくあるケースですが、管理者が実務者へ検討と提案の要求をし、結果を判断すると
伝えて、検討状況や実務者の葛藤に関心も関与もしない。このケースでは、管理者は
旧来の作法の世界にいて、旧来作法の改善意識である。従って、どんなに良い
新しいやり方でも実行へ移せない訳です。日本の管理者の多くは判断することが
自分の仕事だと思ってる。判断は必要だが、何を判断基準とするかに心していない。
これでは、新しいものは生まれない。欧米では、20年以上前から、1)2)3)を
進める手法が開発され、普及してきました。(デザイン思考、U理論)

日本はコンサル流行で、外部コンサルタントへ丸投げのケースが殆どである。
色々なUXを体験するが、現場がわかっていない。現物や現実と乖離している事例も
多い。その場に馴染んでいないのである。
外部コンサルタントへ丸投げ事案かと感じることが大変多い。

次の③では、UX実行においてAIを活用する方法を記述します。

デジタルカメラとレンズ

今日も散歩しながら写真を撮っている。デジタルの結像センサー(CMOS)は冗長性が
少ない。デジタル用のレンズは周波数(色)が収束するような設計で色合いも
安定していると感じる。勿論、レンズの種類やメーカーが違うレンズを使うと
デジタル用レンズでも違いがある。
昔のレンズを使うと、レンズのこの違いの幅が大きく、夫々のレンズで特徴が出る。
従って、狙ったイメージの写真と異なることも多く、各レンズとカメラ
(像の内部処理)の組み合わせを理解し習得が必要で、フイルム時代と
比べると扱い易いが難しいこともある。今日の写真は50年以上前のレンズを使った、
柔らかめの表現になった思う。白黒へ変換すると引き締まった気がする。
LeicaとPentaxが白黒専用デジタルカメラを販売しているが、ニーズがあるのかも。

生成AI活用で停滞から脱却①

何年も前から政府の成長戦略や多くの企業の施策に、DX( Digital Transformation)の
記述があります。趣旨は、デジタルとそれを活用し旧来の作法から脱却して、
より良い作法へ転換する。事例としてマイナンバーカードがあります。
医療DXを実現のためには、マイナンバーカードの普及が不可欠であると政府は
強弁しています。しかし、具体的な作法の刷新(DXの姿)を提示していませんし、
今のままでは見通しがありません。保険証の代わりのマイナンバーカードであり、
旧来の作法が継続されると思います。

医療DX を目指すなら具体的な業務繋がりと関係性による新しい作法が提示され、
患者、医師、病院、行政など、関係者が新しい作法を共有・共感する必要があります。全ての関係者がいままでのやり方(作法)を変える覚悟が必要です。負荷や利益(利便性も含め)の配分が変わることを受け入れることになります。この件で足りないのは、新しい作法の提示であり、関係者の理解と共感です。従って今のままでは、
医療DXが成り立ちません。

どのようなDX(行政/教育/企業/・・)においても、関係者が新しいやり方(作法)を理解し共感すること、加えて、負荷や利益配分が変わることの覚悟が必要です。
この2点が無ければDXはできません。
人は変わることを嫌います。これは習性ですから、許容できる変化であることが
大事いなります。立場の違う関係者が多いほど新しい作法へ移るのが困難になります。
困難な状況をどのよう対処する件は別途⓶で述べます。
②では、DXと同じくUXという取り組み、UXの事例と実現具合について書きます。

AIが生成した医療DXのスケッチ

人型ロボットとAI(人工知能)

人型ロボットが2足歩行するホンダのASIMOを覚えていますか?
かなり昔のことで、25年ほど前になります。
AIが進化したことで、人型ロボットは飛躍的な発展があります。
AI(人工知能)の進化の鍵は、学習にあり、どのような形で学習させるか、
50年ほどの間色々な試みがなされてきました。OPEN AIが一昨年公開したLLMによる
生成AIで状況が変わり、多様なLLMが開発されています。学習も材料を与えることで
AIが相互作用して学習を進める。学習の結果が7000億パラメータ
(解析/生成のベース)まで到達しています。
この方法は人型ロボットへ展開できます。このような状況で簡単な家事を手伝う
人型ロボットは開発されており、2年以内に発売されそうです。

今主流のLLM方式で人型ロボットは進化するとしたら、取り巻く環境/状況を
パラメーター化して蓄積する必要があります。そうすると50倍、100倍の
パラメータへと膨らみます。そうなるとコンピュータの能力問題が生じます。
それで、実現不可能かと言うと、そうでもありません。量子コンピュータの開発も進んでおり、能力問題は対応出来る。少し時間がかかりますが、平均的な人以上の知識を持つ人型ロボットが早ければ5年程度で実現するかもしれません。
普及には、多様な個別ストリー対応、ネットワークの高速且つ安定化なども必要で、10年以上先になると考えています。

午後の時間

今日は暖かい気候である。久しぶりに近くの越辺川の遊歩道へ向かって見た。
昭和の中頃に建てられた家などもあり、集落の趣が残っている。
傍の草むらから白猫が姿を現し、何かを探る様子で堤防添えをゆっくり移動している。

戻り道、橋から河原を覗くと釣りをしている人がいる、この辺で釣り人を見かけることは殆どない。暫く足を止め、釣りの状況を見ていたが釣れている様子はない。
橋の袂から煙らしき物が上がっているので覗くと、橋の下で暮らしている人が
ペール缶の焚き火へヤカンを載せていた。この人は橋のふもとで暮らしている。
長い間、ここで暮らしており10年近くになると思う。
どんな心持ちで過ごしているのか、色々と詮索しながら高坂SAへ寄り、
戻り道を歩く、5キロ程の行程である。

平穏であること?

今日も快晴、歩くに程よい気候である。平穏である。
”平穏”、この単語は日常の中で良く使われ、言葉の指す対象も数知れない。
例を挙げると、「平穏な日常」「平穏な社会」「平穏な日々」・・・・・とある。
”平穏”の持っている意味は本当のところわからない。
天気でも、社会でもなんであっても、抗うところがないと感じ、意識されたとき
浮かぶ言葉かもしれない。”意識”の生じ方は、人それぞれである。

何かの切っ掛けがあって意識が生じる。過度な欲求もなく、執着もなく、恐れもない
平静な心の状態である場合と逆の状態では、平穏という意識の生じ方は違う。
意識の生じる”切っ掛け”を考えるに、五感への働きかけが切っ掛けとなるし、
もう一つ、
他者(メディア、ネット、本、他者の話)が伝えるものがあり、
これが一番多い。

五感へ働かける切っ掛けの背景に実態がある。しかし、他者が伝えるもは、当人にとっては実態がないわけで、仮想のものである。そして、この種の切っ掛けは過剰であり、今後益々増えて行くであろう。AI(人工知能)が普及すると実態を伴わな仮想に
取り囲まれる。いわゆる識者と言われる人が、メディア、ネットリテラシーが大事と言うが、それは小手先のことである。根本は”平静な心を保つ”術にあると思っている。