昨日の夕方、近所を散歩している時、雲の広がりを注視した。
冬の夕暮れ前に現れる情景である。日本海側の雪模様が脳裏に浮かぶ。
風の強く寒い日がまだまだ続き、春はまだまだ先のこと。
今日も風が強い。
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午後の時間
今日は暖かい気候である。久しぶりに近くの越辺川の遊歩道へ向かって見た。
昭和の中頃に建てられた家などもあり、集落の趣が残っている。
傍の草むらから白猫が姿を現し、何かを探る様子で堤防添えをゆっくり移動している。
戻り道、橋から河原を覗くと釣りをしている人がいる、この辺で釣り人を見かけることは殆どない。暫く足を止め、釣りの状況を見ていたが釣れている様子はない。
橋の袂から煙らしき物が上がっているので覗くと、橋の下で暮らしている人が
ペール缶の焚き火へヤカンを載せていた。この人は橋のふもとで暮らしている。
長い間、ここで暮らしており10年近くになると思う。
どんな心持ちで過ごしているのか、色々と詮索しながら高坂SAへ寄り、
戻り道を歩く、5キロ程の行程である。
平穏であること?
今日も快晴、歩くに程よい気候である。平穏である。
”平穏”、この単語は日常の中で良く使われ、言葉の指す対象も数知れない。
例を挙げると、「平穏な日常」「平穏な社会」「平穏な日々」・・・・・とある。
”平穏”の持っている意味は本当のところわからない。
天気でも、社会でもなんであっても、抗うところがないと感じ、意識されたとき
浮かぶ言葉かもしれない。”意識”の生じ方は、人それぞれである。
何かの切っ掛けがあって意識が生じる。過度な欲求もなく、執着もなく、恐れもない
平静な心の状態である場合と逆の状態では、平穏という意識の生じ方は違う。
意識の生じる”切っ掛け”を考えるに、五感への働きかけが切っ掛けとなるし、
もう一つ、他者(メディア、ネット、本、他者の話)が伝えるものがあり、
これが一番多い。
五感へ働かける切っ掛けの背景に実態がある。しかし、他者が伝えるもは、当人にとっては実態がないわけで、仮想のものである。そして、この種の切っ掛けは過剰であり、今後益々増えて行くであろう。AI(人工知能)が普及すると実態を伴わな仮想に
取り囲まれる。いわゆる識者と言われる人が、メディア、ネットリテラシーが大事と言うが、それは小手先のことである。根本は”平静な心を保つ”術にあると思っている。
ちょっと違うモノクロ写真
巌殿観音
今日の写真、旧いアルバム?
昨日の雨、湿った夕方
埼玉平和資料館
本日の散歩は、東京電機大学の鳩山キャンパスを経由し北へ向かい、大東文化大学の東松山キャンパスを経る7キロ程のコースである。
途中の高台には、埼玉ピースミュージュアム(平和資料館)があり無料で見学できる。幾度となく通過する所だが、初めて入館し展示を見てきた。
そこで感じたこと、”平和”が指すものは戦争から飢餓や社会不安など幅が広い訳だが
展示内容は戦争、それも第二次世界大戦(太平洋戦争)時代の市井に残されて品々が
中心でした。平和ーー>戦争と絞ることは理解できるが、戦争の本質(個々の倫理と利益のため相手を暴力で殲滅する)を伝えること、第二次世界大戦以降でも、朝鮮半島、ベトナム、中東戦争などの展示が欲しい。
今尚、イスラエル、ガザ、シリアそしてウクライナでの紛争(戦争)に加えてアフリカでの紛争などが続いている実状がある。戦争の本質を伝える拠点となるよう望む。
抑止力として戦闘力を増強する取り組みは、戦争の本質を肯定している証と
思っている。
戦争をしない為の取り組みが必要で、抑止力(戦闘力)を強化することではない。
そして、ツツジの名所である物見山公園へ続く散策路へ、静かな冬の景色を楽しめた。