午後の時間

今日は暖かい気候である。久しぶりに近くの越辺川の遊歩道へ向かって見た。
昭和の中頃に建てられた家などもあり、集落の趣が残っている。
傍の草むらから白猫が姿を現し、何かを探る様子で堤防添えをゆっくり移動している。

戻り道、橋から河原を覗くと釣りをしている人がいる、この辺で釣り人を見かけることは殆どない。暫く足を止め、釣りの状況を見ていたが釣れている様子はない。
橋の袂から煙らしき物が上がっているので覗くと、橋の下で暮らしている人が
ペール缶の焚き火へヤカンを載せていた。この人は橋のふもとで暮らしている。
長い間、ここで暮らしており10年近くになると思う。
どんな心持ちで過ごしているのか、色々と詮索しながら高坂SAへ寄り、
戻り道を歩く、5キロ程の行程である。

平穏であること?

今日も快晴、歩くに程よい気候である。平穏である。
”平穏”、この単語は日常の中で良く使われ、言葉の指す対象も数知れない。
例を挙げると、「平穏な日常」「平穏な社会」「平穏な日々」・・・・・とある。
”平穏”の持っている意味は本当のところわからない。
天気でも、社会でもなんであっても、抗うところがないと感じ、意識されたとき
浮かぶ言葉かもしれない。”意識”の生じ方は、人それぞれである。

何かの切っ掛けがあって意識が生じる。過度な欲求もなく、執着もなく、恐れもない
平静な心の状態である場合と逆の状態では、平穏という意識の生じ方は違う。
意識の生じる”切っ掛け”を考えるに、五感への働きかけが切っ掛けとなるし、
もう一つ、
他者(メディア、ネット、本、他者の話)が伝えるものがあり、
これが一番多い。

五感へ働かける切っ掛けの背景に実態がある。しかし、他者が伝えるもは、当人にとっては実態がないわけで、仮想のものである。そして、この種の切っ掛けは過剰であり、今後益々増えて行くであろう。AI(人工知能)が普及すると実態を伴わな仮想に
取り囲まれる。いわゆる識者と言われる人が、メディア、ネットリテラシーが大事と言うが、それは小手先のことである。根本は”平静な心を保つ”術にあると思っている。

 

ちょっと違うモノクロ写真

雲が垂れ込める天気ですが、光の具合が面白いので赤外線系の写真を撮りました。
蛇とかカエルなどは、赤外線が見えるようですから、写真のように見えているかも。
自分の見ているもの、聞こえるものが全てではなく、別のことも存在します。
駅へ向かう道で、散歩の行程は5キロ程度です。

巌殿観音

今日も快晴、巌殿観音へ向かいます
江戸時代から明治まで、巌殿観音は大変に賑わっていました。参道は長く、参道に面した家の屋号が出ており、賑わっていた当時の名残を感じさせます。今では訪れる人も少なく静寂なところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

屋号の表示は趣がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巌殿観音の入り口に来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

物見山公園へ到着です。


 

 

 

 

 

 

 

 

郊外で見かける太陽光発電を経て帰路へ、本日の行程は9キロ程です。

 

今日の写真、旧いアルバム?

旧いアルバムからではありません。午前の散歩で見かけた光景です。
タイムスリップしたような感じです。歩きながらふと思った事です。
科学が進歩したというが、5%も解っていない、解らないことばかり。
AI(人工知能)が実用になっても、この解らない状況は変わらない。

セニアの散歩、5〜6人のセニアとすれ違いました。

冬の小川、白菜、川辺の風景

昨日の雨、湿った夕方

昨日の雨で湿ったところが残っている。足首の捻挫は少し痛みが残っているが
ゆっくり歩いた方が早く回復すると信じて、夕方から散歩をしました。
<ゆすらう梅公園、公園から続く散策歩道>

 

 

 

 

 

 

 

松風公園へ向かう、午後の3時過ぎ、どの公園にも人影がありません。冬のこの時間帯は散歩する人も少ない。  <冬枯れの松風公園>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3キロ弱の行程で団地の中央、丘陵活動うセンターへ戻ってきました。

埼玉平和資料館

本日の散歩は、東京電機大学の鳩山キャンパスを経由し北へ向かい、大東文化大学の東松山キャンパスを経る7キロ程のコースである。


 

 

 

 

 

 

途中の高台には、埼玉ピースミュージュアム(平和資料館)があり無料で見学できる。幾度となく通過する所だが、初めて入館し展示を見てきた。
そこで感じたこと、”平和”が指すものは戦争から飢餓や社会不安など幅が広い訳だが
展示内容は戦争、それも第二次世界大戦(太平洋戦争)時代の市井に残されて品々が
中心でした。平和ーー>戦争と絞ることは理解できるが、戦争の本質(個々の倫理と利益のため相手を暴力で殲滅する)を伝えること、第二次世界大戦以降でも、朝鮮半島、ベトナム、中東戦争などの展示が欲しい。

今尚、イスラエル、ガザ、シリアそしてウクライナでの紛争(戦争)に加えてアフリカでの紛争などが続いている実状がある。戦争の本質を伝える拠点となるよう望む。

抑止力として戦闘力を増強する取り組みは、戦争の本質を肯定している証と
思っている。
戦争をしない為の取り組みが必要で、抑止力(戦闘力)を強化することではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ツツジの名所である物見山公園へ続く散策路へ、静かな冬の景色を楽しめた。

 

変動の前触れ?

雲の無い青空、肌に冷気を感じる天気である。
昼前の陽射しの元で散歩する。
今日の散策は、家並みと畑が点在する所である。

静かで穏やかな空気が漂う、野菜の無人販売棚、散歩する人への心使いのベンチ、
安らぎ満ちた環境である。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間がゆっくりと過ぎる。世界を見れば紛争、飢餓が広がる現状を思うとこの雰囲気は得難いこと、余りの穏やかさから、嵐の前(動乱の前)の静けさかと
不安がよぎる。
日向と日陰は必ずある。

重苦しい曇り日

どんよりして気が滅入る天気でした。風もなく寒くも暑くもなく、ポジテブな気持ちになると散歩に好都合な日でもある。”曇り日で気が滅入る”と刷り込みがされているのか、そんな事を思いながらの1時間ほどの散策でした。この地方の越辺川沿いは稲荷信仰が盛んだったようで小さな稲荷神社が各小集落にあります。

 

千年谷公園

 

 

 

 

ちごの沢沿い